ロンパース展終了しました(表現あれこれ)

ほあんたま

2008年04月14日 11:27

二週間に渡るロンパース展は、無事終了しました。
作家の皆さん、お店のスタッフの皆さん、ライブに出演してくれたミュージシャンの方々、来てくれたお客さんたち、そして何よりも企画して引っ張ってくれたトッシーさんに、感謝!!ありがとう!!サンクス!!(キスの嵐)

最終日のクロージングパーティーはすごく素敵なものでした。
最近、、、実は秘かに、弾き語りをしたーーーい!!と夢見ていたので、楽しそうに演奏している人達を見て、うっとりしてしまいました。
歌って素敵!!
音楽って素晴らしい!!
そしてロンパースのそれぞれの絵も。

うー
最近ふつふつとたまっている、爆発しかねん想いがあるので、
とっても個人的なことやし、「読みたい!!」て思ってくれる奇特な方は、ぜひぜひ続きを!!

まとまりがなくて申し訳ないです。
とにかくありがとう!!
最近ですね、「表現すること」の素晴らしさに改めて驚いているわけです。

描く、書く、読む、奏でる、歌う、叩く、踊る、わめく、泣く、笑う、話す、沈黙、触れ合う、抱き合う、瞑想する
すべての行動が表現であり、癒しであり、それは魂の成長を助けてくれる。
個人の成長だけでなく、それは共有することで人類という集団の魂の成長にもなる。

しかしそれには、人がピュアであることが要求される。
想いがピュアでない場合は、例えば社会性や常識、習慣に導かれたものなら、それは堅くて黒いコリになる。そこから人は病気になる。人類は病理的になっていく。
だから表現すりゃいいってもんでもないんやな。


ちょうど一年前の今日(やったと思う)、私は生まれて初めてヴィパッサナー瞑想と言う、瞑想会に参加して帰ってきた。
何かが劇的に変わった訳ではなかった。

でも最近ふと自分が変わっている事に気付く。
その変化は経験する前と後とでは、まるで別人のようだ。
以前は自分の本当の深い部分での欲求や想いは、表面的な自我に隠されていた。
だけど身体は知っていた。身体は「違うよ」と言ってこわばり、私にずっと訴えてきたのだ。
そのときに私がしていたことは、未だに実を結んだ事は本当に表面的なことで、魂には何の栄養も与えなかった。
それはとても悲しい事だけど、受け入れなきゃいけない。
すべてを肯定することは、否定を受け入れる事でもあるからだ。否定を否定しちゃいけない。いつでも今がいちばんいいのだから。

誰でも中心の想いをそのままに生きていることが、本当の表現のかたちだと思う。
そうすれば摩擦や争いもなくなるのにな。

素晴らしい世の中になりますように!!